報道で、G7の首脳たちが「平和記念資料館」を視察し、亡き魂たちに献花する様子を見て、かつて自身が訪れた「原爆ドーム」について書いた記事を思い出しました。
広島出張の折に、ふと思い立って訪れたのですが、胸を鷲掴みにされたような思いでいっぱいになったことをよく覚えています。
スポンサーリンク原爆ドーム
土橋から紙屋町に向かって、てくてく歩いていると、突然目の前に”原爆ドーム”が現れました。
平和記念公園の方に向かって歩いているのはわかっていたので、「突然」というのはおかしな話なのですが、何だかそんな風に感じられたのです。
「相生橋」という大きな橋の向こう側に、小さくてもそれとすぐわかる、何度も写真で見たことのあるドームがありました。
近くまで行くと、平日なので観光客はそう多くはなく、外国人の少人数のグループがチラホラいるだけでした。
実は学生の頃にも、原爆ドームには一度来たことがあるのですが、その時は友人達との楽しい旅行の途中で立ち寄ったので、記念写真を撮っただけで、本当に申し訳ない話ですが、ただの観光の一部でした。
今回ひとりで訪れて、写真も人物ではなくドームそのものがメインのものを撮り、ゆっくりと見て歩き、石碑や看板も時間をかけてきちんと読ませてもらうと、やはり胸にせまるものがありました。
以下、原爆ドームの前に置かれた石碑より
原爆ドーム
昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である
爆弾はこの建物のほぼ直上600メートルの空中で爆発した
その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が失われ 半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した
この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため 国の内外の平和を願う多数の人々の寄付金によって補強工事を施し これを永久に保存する─
昭和42年8月6日 広島市
一瞬にして奪われた20万をこえる命、そして一瞬にして生まれた20万をこえる無念な思い…、あまりに大きすぎて想像がつきません。
人は死んでも「思い」は残ります。
残されて、今生きている人だけが悲しいのではないと思います。
理不尽な形で命を奪われてしまったたくさんの人々は、癒されることがあるのでしょうか? 今もなお悲しみつづけているのではないでしょうか?
ならば、その悲しい魂が少しでも癒されますようにと、8月6日には、忘れずに祈りを運びたいと思います。
同じように、祈って下さる人がたくさんいますように。
ドームの実物を目の前にすると、被爆という事態が、現実に起こったことであったのだという思いを強く感じました。
ひとつでも、命がなくなるというのは大変なことなのです。
しっかりと心に刻んで、生きていきたいと思います。
この広島の地で
呉市の「大和ミュージアム」を訪れた際に、大和と運命を共にした人々の遺書を読んだ時や、出撃前夜の青年将校の家族に宛てた肉声のメッセージを聞いた時も、同じような思いを感じ、涙なしにはいられませんでした。
“お国の為に” 軍人として戦地で没することは本懐と心得つつも、家族や親しい人を思う気持ちはいかばかりであろうか? その声を聴いていると、胸につまるものがありました。
思えば、この広島の地で、今この時(戦時下)にサミットが開かれているのは、偶然では無いのかもしれません。
今回、各国首脳が思いを一つに献花する姿を見ることができて、本当に良かったと思います。
ウクライナのゼレンスキー大統領の来日も控えているとの事。
今回のG7サミットは、大きな成果を残せるのではないでしょうか。
「広島でサミット」と聞いて、
岸田首相、「故郷に錦を飾る」って感じかな
ぐらいにしか思っていなかったのですが、ここまで考えての広島開催なのだとしたら、「天晴れ!」ですよね。
本当のところがどうなのかは分かりませんが (^o^)
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